懐かしのフォトストーリー
大阪ミナミあきんどクラブホームページ
懐かしのフォトストーリー
木村 裕一
木村アルミ箔(株) 代表取締役
地名こそ文化財。むかしの名前を呼び戻そう!昔々、『二ツ井戸』と呼ばれていたところ(現在は高津2丁目)で『銀紙屋の木村アルミ箔(株)』が創業しました。『二ツ井戸』には、『粟おこしの津の清』、『天津甘栗の楽天軒』が、高津2丁目には、『番頭はんと丁稚どんの七ふく製薬』といったなつかしの名店が軒を連ねていました。なんで地名を消すねん?旧町名の復活をみんなで考えてみまへんか?(A)谷町九丁目の中寺町付近は、春先になると、桜と鬢付けの香りが漂うまちになります。5代目朝潮太郎の『高砂部屋』をはじめいくつもの『相撲部屋』がお寺を借りて、大阪場所に臨みました。最終取り組みが終わる頃、力士のサインを求めて、部屋の前で待っていたあの頃が懐かしい。高津小学校の時でした。(B)高津神社の境内に、湯豆腐屋の『料亭・藤壺』がありました。町内会の総会におじい様・おばあ様と一緒に参加し、初めて、湯豆腐をお召し上がりになられたのは、どこのBONでしたか? 確か銀紙屋のなんとかと記憶しております。京都に行かんでも、大阪ミナミでこんなうまいもん食えましたんや。でも、今はおまへん。どこへいったの? 懐かしのあの味はもう食べられへん。
▲二ツ井戸(高津2丁目)付近
「銀紙屋のBON」
▲(A)中寺町「高砂部屋」朝潮太郎
▲(B)高津神社境内「湯豆腐の藤壺」
石原 純一(株)イシハラ 取締役会長
私の住んでいた松屋町は上町台地の一番ふもとにあり地名も下寺町(お寺の下の町という意味)です。谷町9丁目から長い下り坂で市電のスピードが一番出る所に下寺町の停留所があり、うまく止れるのかとわくわくしながら見ていました。あの時の方が今の坂よりもっと急なような気がしました。そして釘などをレールの上に置きぺちゃんこに潰れるのを見て喜んでいたわんぱく坊主でした。
▲下寺町の「BON BON」
高橋 勝彦
(株)スポーツタカハシ 代表取締役社長
おぼえていますか?当時店の前の御堂筋は対面で、一方通行ではありません。当時のスポタカの坪数は、70坪(現在300坪)でスポーツ用品は1F~2F。3F~4Fは、レントしていました。(4Fは加山雄三の母親の小桜葉子のダンス教室にレントしていました。)本当にノンビリしていて、スローなヒマな店でした。
▲昭和47年当時のスポタカです。